事故のリスク
車を運転している者は誰でも交通事故のリスクを多かれ少なかれ負っている。
もちろん、運転時間が長ければ長いほど、そのリスクは高まる。僕のように仕事でトラックを運転するトラック運転手は、連日長い時間、運転していて、通勤時くらいにしか車を運転しない人に比べると、リスクはとても高くなる。
ただ、それは確率の問題であって、リスクが低かったら絶対に交通事故に遭わないというわけではない。リスクが高いトラック運転手だって、生涯、交通事故に遭わないという人がほとんどだ。
一方、トラック運転手のような職業ドライバーではない、つまりリスクも低い、週に1度くらいしか車を運転しない人が、その「たまに」の運転で交通事故に遭うことだってある。
交通事故リスクには、車を運転する頻度以外に、その人の集中力、疲労などの要素も影響するからだ。
また、事故に巻き込まれるという、不確定な要素もあったりする。
強迫観念
交通事故に巻き込まれてしまうという中では、特に怖いのは「あおり運転」だ。
「あおり運転はされる側にも原因がある」なんて話も聞くが、どんな原因があろうが、誰かを危険な目に遭わせるべく「あおって」良い理由などない。
あおり運転をしてしまう運転手の心理には、行き過ぎた正義感とやらもあるという。その運転手の考える交通ルールからはみ出す運転手を、その「行き過ぎた正義感」から罰してやろうと考え、「あおる」というわけだ。
行き過ぎた正義感にしろ、「オレ様の運転を邪魔しやがって」というムカつきにしろ、その根底にあるのは「恐怖」だ。恐怖は人を攻撃的にする。それが動物の本能と言うやつだ。
だからと言って、本能だから仕方ないということにはならない。
この「恐怖」にとらわれないためには「寛容」になることが一番だが、人間、そう簡単に「寛容」になれるものではないのが、困ったところ。
だけど「ルール違反は許さない」という強迫観念に縛られて生きるより、実は、誰もがお気楽極楽に生きたほうが、世の中も平和になるのは明らかだ。