3代続いた
俺はトラック運転手だ。トラック運転手となることは、俺の運命だった、のかもしれない。
俺の父もトラック運転手だ。祖父もトラック運転手だった。それで俺は幼いころから「お前は大人になったらトラック運転手になるのだ」と叩き込まれて育った。
買い与えられたオモチャと言えば、トラックのミニカーやトラックのプラモデル。レゴもトラック。ぬり絵もトラック。絵本も「はたらくくるま」とか、トラックをメインにしたもの。食器もトラック柄だったし、オムライスにもケチャップでトラックが描かれていたものだ。とにかく子どものころからトラック尽くしで育った。父は、俺にも「トラック」と名付けたかったそうだ。さすがにそれは区役所の職員の大反対であきらめたようだが。
それだけトラック尽くしだと、反抗期にはトラックが嫌いになるだろう。しかし、父もそれは想定済みだった。俺が思春期になるころには、トラック運転手のマイナスイメージばかりを口にするようになったのだ。
余計なお世話
俺はこの術中にまんまとはまった。反抗期の俺は、父に反抗してトラック運転手こそ素晴らしい職業だと思い込むようになったのだ。
こうなると虐待だと騒ぐ人もいるかもしれない。しかし、父は俺をとてもかわいがってくれた。愛情を注いで大事に育ててくれた。
それが術中だったにしろ、俺が強制されてトラック運転手になったのなら「虐待だ!」と騒いでも良いが、幸福な子ども時代だったので、それを「虐待」だのなんだの言うなら、余計なお世話というものだ。
ただ、まんまと父の術中にはまったと認めるのも業腹なので、自分では「運命だった」と、自分に言い聞かせている。
「運命」とは「命を運ぶ」と書く。俺が運んでいるのは「命」ではなく「荷物」だが、これが俺の運命だった、のかもしれない。