舐めてた
昔、こんな映画を見た。悪党たちがパリで浮かれている女子学生を誘拐してみたら、彼女の父親が元特殊工作員か何かで、サクサクと悪党仲間を皆殺しにしつつ、娘を救出するために悪党のボスに迫っていくって話だった。
こういうのを「舐めてた相手が実は殺人兵器だった」ムービーとかいうらしい。被害者側が単に「か弱い存在」で終わらず、むしろ悪党たちをビビらせていく展開が何とも痛快だった記憶。
さて、私はトラックドライバーの仕事をしている。「舐めてた相手が実は殺人兵器だった」ムービーの話をしたものの、私は別に元特殊工作員だったわけじゃない。ただ、我々トラックドライバーのような職業ドライバーは、何だか世間の皆さまから「舐められている」ような気がしなくもない。
いや「舐められている」というのは言い過ぎだな。「軽く見られている」といったほうがピッタリくる。
今に見ろ
ただ、同じ職業ドライバーでも、「接客」を主な仕事としているタクシードライバーと違って我々トラックドライバーは、運転しているトラックが大きいだけに見た目に圧迫感、威圧感もあり、もしかしたら恐れられている要素もあるかもしれない、なんて思っていたらそうでもなかった。
圧迫感、威圧感があるのはあくまでもトラックで、それを運転する我々トラックドライバーにはそんなものは感じていないようだ。
しかし、今に見ていろでございますよ。
私はトラックドライバーのはしくれとして、街でも、なるほど不埒な同業者を見ると怒りを覚える。そして、ネットなどでトラックドライバーをけなす記事を見ると悲しくなる。トラックドライバーが「軽く見られる」のは、良くないイメージが広がっているからかもしれないが、確かに悪いイメージを抱かせる「良くないトラックドライバー」がいるのも事実だ。
なったらいいな
私は「不埒なドライバー警察」となって、そんなトラックドライバーを取り締まる気は毛頭ないが、せめて自分だけは襟を正し、誰かから非難されるような不埒なトラックドライバーにはなるまい。
1人1人のトラックドライバーはそんな風に思えば、不埒なトラックドライバーもいなくなるだろう。不埒なトラックドライバーがいなくなれば、不埒なタクシードライバーや不埒なバス運転士もいなくなるかもしれない。
そうなったらいいな、いいのにな、と思わずにいられない。