昭和50年ごろ
トラック運転手の先輩から聞いた話。
先輩の同僚に、仲間から「鉄腕ジム」とあだ名されるトラック運転手がいた。
なかなかなハンサムで、しかも馬鹿力だったため、そんなあだ名が付いたと聞いた。ハンサムだから洋風に「ジム」ってのはさすが昭和な発想だ。ちなみに昭和50年代のことらしい。
当時はまだトラック運転手が「どれだけたくさんの荷をどれだけ早く届けることができるか」を競っていた時代だったという。力自慢のジムは荷の積み下ろしが早く、他の運転手の倍くらいの早さでトラックを発進させる準備を終え、さっさと飛び出していった。
度胸も良かったので、今からしたら危険な運転もずいぶんやって、いつも仲間内でトップの座にいたようだ。それで事故を起こしたことがないというのだから、運が良かったのだろう。
勝負の行方
そんなジムにあるとき、入社したばかりの若い運転手が挑んできた。
その若者はフォークリフトの操作がうまく、自分のフォークリフトでの作業とジムの手作業とで勝負しようと言い出した。
ちなみに当時は技能講習を受けていない運転手も、こっそりフォークリフトを使っていたとか。その若者は講習を受けていたので、それを自慢したかったのかもしれない。
さて、勝負が始まると、これがなかなか勝ち負けが決まらなかった。若者は確かにフォークリフトの操作はうまかったが、うまいかどうかと早いかどうかはまた別だった。
一方、ジムは安定した「早さ」を誇っていた。
結局、勝負は引き分けだった。だが、ジムはあっさりと自分の負けを宣言し、若者をほめたたえた。
先輩が後で、ジムになぜ自ら負けを認めたのかと聞いたところ、勝負そのものよりフォークリフト操作のうまさに驚いたからだという。
ジムはその後、若くして病気で亡くなったらしいが、先輩は彼の話をするとき、最後にいつも「ヤツこそ、真の意味での“紳士”だった」と付け加えていた。