村社会
日本には同調圧力という厄介なものがはびこっている。
「皆同じでないといけない。はみ出しものは容赦なく排斥する。足並みをそろえないものは容赦なく攻撃する」という、世にも恐ろしいものだ。
日本人が村単位で生きていかないと生き残れなかった江戸時代なら仕方ないが、今は表向き国民の自由が尊重されている時代で、全く同調圧力なんてものは害にはなれど、何の得にもならない。
例えば、「働き方改革」で「残業は減らすように」なってきたはずなのに、大きな企業で仕事をしていると、自分の仕事が終わったので定時で帰ろうとしても、先輩や同輩がまだ仕事を終わらせていないと、自分1人が定時で帰るのも「気まずい雰囲気」になったりする。
この「気まずい雰囲気」を振り切って帰ったりすると「今の若いヤツは」とか「空気を読めない」とか、陰で悪口が噴出する。
そもそも「空気を読む」ってそんなに大事か? それより「時代を読め」だ。
情けは人のためならず
と、日本の同調圧力に異を唱える人はトラック運転手になるといい。
トラック運転手は1人で仕事をするのが基本なので、自分の仕事が終わってさっさと帰っても、誰にも後ろ指指されやしない。
とは言え、「他人の仕事を手伝えばいずれ自分も助けてくれる」ということもある。仕事がなかなか片付かず、困っている同僚がいて、何か手伝えることがありそうなら手伝ったほうがいい。
善行はいずれ自分に返ってくる。「1人で仕事が基本」のトラック運転手も「自分さえ良ければ」という考えではいけない。
それは「同調圧力」ではなく「お互い様」ということだ。