本来あるべき姿
俺はトラックドライバー。
今日も俺は荷の届け先で、スタッフたちが荷を降ろすのを待っていた。トラックドライバーに荷の積み下ろしをさせる荷主は多いが、俺が担当する荷主はどこも、自社のスタッフに積み下ろしをさせるので、俺の仕事は文字通り、トラックの運転だけだ。本来あるべき姿と言っていいだろう。
実は、俺はトラックドライバーになる前、倉庫で働いていたことがあった。そのときは逆に、荷の積み下ろしはトラックドライバーにやらせていた。俺の仕事と言えば、運び込まれた荷の確認やら、運び出す荷の仕分けといったものだった。
そして内心、「肉体労働のトラックドライバーは大変だなあ」と思ったものだ。
だが、そのトラックドライバーに俺がなろうとは、お釈迦様でも気がつくめえ。
閉塞感
要するに、毎日同じ「倉庫」という場所に通い、そこで働くことに「閉塞感」を覚えていたのだ。それで、「どこかから」ひょいとやって来て「どこかへ」ひょいと去って行くトラックドライバーに、いつの間にか「憧れ」を感じ始めていたのかもしれない。
そんなわけで俺はトラックドライバーになった。最初は中型運転免許を取って中型トラックに乗り、それから大型免許を取って大型トラックに乗るようになった。
最初に中型運転免許を手にしたときは「これが新しい人生へのパスポートだ」と思って、誇らしげに感じた。
最初は、荷の積み下ろしをやらされる仕事もあった。覚悟していたので辛さはなかった。今は荷の積み下ろしはやらなくていいので、比べると随分楽になった。
そして今日も、スタッフたちが荷を降ろすのを待っている。荷を降ろしたら、同じスタッフたちが新しい荷を積む。
俺の負け
それにしても今日はやけに待たせる。
待っても待っても、荷下ろしが終わらない。新人スタッフなのか、何だかやけに手間取っているようだ。
「何なら手伝ったほうが早いか」とも思い始めた。「いやいや、ここで手を出したら俺の負けだ」なんて、よく分からん理屈で待ち続けた。
とにかく荷の積み下ろしが終わらないことには、俺はトラックを発進させることができない。トラックを走らせることができなきれば、俺の人生に何の意味があるんだ。トラックドライバーこそ俺の人生そのもの。その俺の人生を止めるなんて! 人生は旅のようなものだと、誰かが言っていたような気がするが、俺のトラックはまさに俺の人生のパスポートなんだ。誰にも奪うことなどできない!
と、妄想が広がりまくったところで「すみません、終わりました」と、スタッフさんが知らせに来てくれた。