母の計略
私の父は長距離のトラック運転手をしています。
なので、家にいないときは何日もいません。いると思えば、1日中テレビを見てウダウダしています。そんなとき、掃除をする母に煙たがれますが「たまに家にいるときくらいは好きにさせてくれ」という父は、母の意など介す気配もありません。
そんな父があるとき、珍しく仕事先でもらったという明太子を持ち帰ったことがありました。母は「本場の明太子はやはりおいしい」と至極感激。「仕事柄いろいろな地方に行くんだったら、こういうおいしいものをもっと買って来てよ」と父に言いましたが、父は「ばかやろう。遊びに行くんじゃなくて仕事に行ってんだ。そんなヒマあるかい」と、取りつくしまもありません。
ここから母の計略が始まります。父が自宅で食事するとき、何か1品、ふだんはあまり出すことのなかった料理を出し、「これはイマイチねえ。やはり本場の味はおいしいのでしょうけど」と言います。
また、父はお小遣い制でやっていたのですが、「物価が上がったから」という口実でお小遣いを減らしつつ、仕事に送り出すとき「これで何かおいしいもの買ってきて」と、わざわざ別にお金を渡すのです。
娘の気づき
この計略が功を奏したのか、父が「もらいもの」ではなく、わざわざ自分で購入して「地域の特産品」を買ってきてくれるようになりました。母は父に「ありがとう」を連発しつつ「おいしい」も連呼して喜んで父のお土産を食べました。
娘の私の目から見ると、「地域の特産品」のおかげで、父と母は前よりも仲良くなり、お互いを思いやるようになった、と思います。
そんな母が亡くなりました。
私はすでに大人になり、運転手にはなりませんでしたが、運送会社で働いていました。
自分が業界に入ってみて分かったのは、運転手が地域でお土産を買っている時間なんてなかなかない、ということでした。ただ、父は違う会社で働いていたので「会社によって違うのかな」と思っていました。
葬儀も済んで遺品を整理していたとき、父に「お母さんは地域の特産品をいつも喜んでいたね」と話したら「あれには苦労したよ」とポツリ。
父の心意気
やはり父は、特産品を買う時間はなかなかなかったので、エコ運転をはじめ、その地方の徹底的なリサーチからの最適ルートの割り出し、荷役作業の効率化など、それまで以上に一所懸命にやり、「特産品を買う時間」をひねり出していたと言います。
作業の効率化はプロとして当たり前と言えば当たり前ですが、父は母を喜ばすためにやったことで、改めてプロ意識を自覚できたようです。
それより、何よりも父をえらいと思ったのは、そうした努力を今まで一度も母に自慢しなかったことです。